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Quality of life
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来たる還暦と振り返る雑感

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だれかの役に立つことを目的としてはいない文章を書き綴っています。ただ、今の心境を書き留めたい。しいて言えば同じ世代の人々と何かしら共感できる部分があると嬉しい。

還暦はいつかは来るけども、これまではどこか他人事のように捉えていました。しかし、ついにそのイベントが自分事となるときが2年後に迫っています。いよいよ還暦が視野に入ってきました。

生まれかわる還暦、これまでの歩みを振り返り思うこと

 

世界各国の寿命からみる現在の自分の立ち位置

「還暦」をググって英訳すると「60th birthday」と返してくれます。つまり「60歳の誕生日」。

還暦といえば、日本では人生の大きな節目といった印象をうけます。還暦間近のいま、正直なところ若い頃と比べると「年をとったな」と感じる部分は随所にあります。いっぽうで、「思ってたよりもまだ動けるな!」という思いもあります。

ところで、よく日本は長寿国と呼ばれますが、いったいどれくらい長寿なのかご存じでしょうか。海外の状況と比較したデータがありますのでご覧ください。

厚生労働省の資料 主要先進国の平均寿命の推移 (資料出所:Global Health Observatory Data 平均寿命、健康寿命は2019年データ)より抜粋

主要先進国の平均寿命 男性
平均寿命 健康寿命
アメリカ 77 68
イギリス 80 70
イタリア 81 71
カナダ 80 71
ドイツ 79 70
フランス 80 71
日本 82 73

 

主要先進国の平均寿命 女性
平均寿命 健康寿命
アメリカ 81 67
イギリス 83 71
イタリア 85 73
カナダ 84 72
ドイツ 85 72
フランス 85 73
日本 87 76

 

ここに上げた主要先進国のデータでは飛びぬて長寿だとは感じませんが、長寿国ランキングでみると日本は1位となっています。また、長寿ランキングの下位ではあまり聞き慣れない国の平均寿命は50代の国々もあるのです。

私が生まれた1965年当時の日本人の平均寿命は男性67歳、女性72歳というデータもありますので約60年間でかなり寿命が延びていることがわかります。ちなみに1965年当時のアメリカ66歳、フランス67歳、イタリア67歳、1966年当時カナダ68歳、オランダ71歳、イギリス68歳。

このことから、先進国においては同じように寿命が延びている一方、途上国の現状を見ると医療の発達が寿命に大きく影響しているように感じます。

 

現在の自分の立ち位置は

私が注目したいのは健康寿命です。そもそも、健康寿命とは何を差しているのでしょうか。厚生労働省の資料によると「日常生活に制限がある事」を不健康と定義しています。

健康寿命とは

「日常生活に制限のない期間の平均」つまり、健康上の問題で日常生活に影響がない状態

あるいは「自分が健康であると自覚している期間の平均」

健康寿命の定義と算出方法 e-ヘルスネット厚生労働省より抜粋

まもなく還暦を迎えるということは、あくまで平均的なデータを参考にすると健康寿命まで10年余りという感じですね。こうみると意外に短い気がする。しかし、あまりネガティブな感情に支配されるとどんどん引き寄せられるようになっていきますので、こういう部分は楽観視するほうが良い部分ですね。

まあ、考えたところで誰にもわかりません。そして、理想は健康寿命を限りなく寿命に近づけることですよね。

 

健康寿命を延ばすには

健康であり続けるには、食事、睡眠、運動が大切な要素として広く知られています。我々の世代ではみなさん注意していることだと思います。

ただこれだけでは不十分なことはなんとなく実感しているのではないでしょうか?

生きがい・社会的なつながり・必要とされる実感・趣味などこのプラスアルファの部分はかなり重要だと考えています。そして個人差が出てくる部分でしょう。つまり、ここが残りの人生を充実せるキモになると思いませんか。

たとえ身体的には健康であっても、孤独な状態ではいずれ精神的に病むことになりそうですよね。不幸にも、事故等でもうすでに身寄りがいなくなり独りぼっちという人もいることでしょう。

人が安寧に暮らすには、できる事なら家族に囲まれるという状態がベストなのではないかと思います。なぜなら、家族というのは「互いが生きていること」に喜びを感じ合えるし、互いにとって「自分が生きているだけ」で「相手の生きがいになる」存在であるから。

私のように、独身あるいは身寄りがないという方は「好きな仕事」があるといいですね。仕事をするということは「お金を稼ぐため」だけにするのではなく「自分の居場所をつくること」だと私は思います。

わたしは、なんとなくですが70歳までは働きたいなと思っていますが、案外80歳でも働いているかもしれません。自分の居場所をつくるために。

 

これまでの人生で「やってよかった没入体験」

自分の人生を振り返ったとき、何かに一生懸命に取り組み没入できた体験というのはかけがえのないものだと思います。そんな体験はその当時の選択から生み出されていますので、シェイクスピアの「人生は選択の連続である」ということばが実にいい得て妙であるように思います。

部活の選択における失敗と成功

わたしの場合、その選択の一つは学生のときの部活です。

わたしは、15歳の時に親元を離れて寮生活をするという大きな選択をしています。この時の選択理由は「自分の進学により親にかける負担を少なくしたい」というものでしたが、この年代で親元を離れるということがどれほど大きな環境変化となるのかよくわかっていませんでした。市内の子は週末に実家に帰れますが、地方から来た子たちは帰省するなんて年に2回だけの一大イベントといった感じです。それでも、救いなのは同じ境遇の仲間が寮にいるということでした。

まあ、そんな心さみしい状況で救いとなるのは仲間と部活への没入体験だったように思います。そんな部活も順風満帆ではなく、わたしの最初の選択は「ボート部」です。選択理由は「部活にお金がかからなさそうだから」というもの。とくべつボートに興味があったわけでもなく、ただなんとなく物珍しく思って入部したのではないかと思います。

レガッタというボート競技はローイングのテクニックもあるでしょうが、とにかく1にも2にも体力なんです。だから、練習はキツイ。私は体力があるほうでもないから練習についていけない。たしか、半年もたなかったと思います。辞める時もすんなりとはいかず、上級生の部屋に呼び出され説教されメンタルがボロボロになった経験をしています。

そんなメンタルがどん底に落ちた私に光を与えてくれたのがテニスでした。中学では軟式テニスをやっていて、もうその頃から硬式テニスに興味をもっていました。

最初はとにかく安いラケットを買って、時間がある限りテニスボールを壁打ちで打つのが楽しくて仕方がありませんでした。いっぽうで「所属する部活を変えるという選択」は決して楽ではなかった。なにせ、学校という狭い村社会のなかでの振る舞いは逐一監視されてる感がぬぐえません。

当時のわたしにとっては「テニスで結果を出すこと」だけがボート部の先輩方から許しを得る唯一の方法だと思っていました。トレーニングの内容はボート部と違っていますが、決して楽というものではありません。とくに勝負に勝つためには強い精神力が必要であり、強い精神力は強靭な体力から生み出されるところがあるため、とにかく自分を自ら追い込むトレーニングをやることになります。

今でこそ、「選択と集中」ということばがありますが、わたしの学生生活においてはテニスを中心に考え、テニスに没頭していました。夕食後も体育館で壁打ちしたりしてましたのでハッキリいってあまり勉強はしてません。テスト2週間前から詰め込むのが恒例となっていました。

おかげで、学業ではあまりぱっとしませんでしたが、テニスでは団体や個人ダブルスで地区大会優勝し全国大会に出場したりとそれなりの結果を残すことができました。

 

就職によるチャレンジと失敗からの学び

齢をとってからは生まれ故郷で暮らしたいなと思っているひとは意外と多いのではないかとおもいます。なぜなら、高齢の親が心配なので、何かあった時にすぐ駆け付けられる距離を保つことができるから。

だから、もしも身近にやりたい仕事があるときはわざわざ遠くに行く必要はないのでしょうが、もしも、興味をもっていることが他県にあるのであれば若いときに是非挑戦してみるべきではないかと思います。

私はたいして勉強していないのに、「エジソンへの憧れ」と「スーパーカーブームに取り込まれた幼少期」の体験からなんとなく「自動車開発をやってみたい」という熱意だけはありました。「自動車開発に携われるにはどこの会社に行くべきか」と考え、当時は弱小と思える自動車メーカーを選びました。わたしの狙いはある意味よかったのではないかと思います。実際、エンジン開発の実験課に所属できました。

しかし、このとき、わたしと同じようになんとなくメーカーを選んだ人もいれば、そのメーカーの製品に惚れ込んで入社している人もいて、惚れ込んで入社した人の熱量がハンパないということを身をもって感じました。

それから、インターンシップで一緒だった慶応の大学生にも衝撃をうけましたが、会社の同期や上司に関東圏の有名大学卒業者がいてやっぱり違うなという一種の敗北感を感じたりしながらも必死に勉強していました。

しかし、結果として早々に会社を辞めたことは私自身も非常に残念だったのですが、あとになってから学校の後輩に大変な迷惑をかけたことになったと痛感しています。おそらく私が就職した会社からの求人は無くなったか、あるいは求人があったとしても開発職としての採用はなくなっていることでしょう。

こんな苦い経験から、同じ轍は踏まないと強く思っていました。カナダでは日本食レストランのオーナーにスポンサー(保証人)になっていただき、就労ビザ、そして移民権まで取得させて頂いたのに、私が日本に戻るという事はスポンサーにとって大きな打撃となるのは必死です。その後、ワーホリの子の移民権の申請がやりづらくなります。

そこで、私にできる事は市民権までとることだと思っていました。市民権の申請をして帰国し、カナダ市民権の授与式のためにもう一度カナダにいきました。これでやっとスポンサーに迷惑をかけなくて済むという安堵感を得たことを覚えています。カナダでは二重国籍であることは問題ありません。カナダの市民権は期限がないためその気になればいつでもカナダで働きながら住める権利を得ていたのです。

だが、日本では二重国籍は禁じられています。ですから、今後は家族のためにも、もちろん自分のためにも日本で暮らしていくことを決意し、市民権を取得して約10年後にカナダ市民権を放棄しています。

 

旅行と海外生活の貴重な体験

未熟な青年の私は自分がいかに恵まれていたかを分かっておらず、せっかく就職できた自動車の開発部門の職を手放してしまっています。その当時、海外なら学歴に関係なく勝負できるのではないかと考えていました。だから、とにかく「海外の状況をこの目で見てみたい。」の一心で、明確なビジョンもなく実に短絡的な行動だったという後悔の念もあります。まあ、ハッキリ言って「日本で通用しない人間が海外で通用するはずもない。」と悟ったのはずいぶん後からですね。笑

しかし、その大胆な行動のおかげでさまざまな貴重な体験を積むことができました。

今から34年前の1898年にカナダで、Quality of Life という言葉にはじめて出会いました。日本ではバブル後期で仕事が生活の全てのような時代でしたので、かなりのカルチャーショックを受けた記憶があります。カナダでは人々がリラックスしている印象がありました。今でいうワークライフバランスが良かったように思います。

バンクーバー到着 jpg

 

旅行の体験

特に paid holiday いわゆる有給ですね。わたしは現地の日本レストランで長く働いていたので他はよくわかりませんが、オーナーたちが旅行が好きだということもありスタッフは交代で毎年2週間づつ交代で休んでそれぞれ旅行してました。(BC州ではthe statutory holidays は11日なので週休2日で考えると約2週間となります。レストランでは休日、祝日はかき入れ時)pay check (給料小切手)を2週間ごとに頂いていたので、2週間の旅行から帰ってくると2週間分の給料がもらえるという状態でした。

細かいことは良く分かりませんが、有給休暇を取得させないと企業側が罰せられるということでした。まあ、こんな環境だとそりゃ旅行いきますよね。

カナダに渡ってすぐの時は、自費でカナダを横断してロッキー山脈、バンフ、ナイアガラ、モントリオールを観光しています。

その後は有給休暇で、新婚旅行としてメキシコバハカリフォルニアにある皆既日食で知られるカボサンルーカス、カリブ海の透明な海に浮かぶカンクン、マヤ文明のチチェン・イッツァを巡る旅。翌年はフェリーで北上してアラスカで白夜を体験し、なかなか見れないと言われるマッキンリーでしたが、デナリ公園でキャンプして早朝にほんの数分間だけ奇跡的に見ることができました。前日にみた曇より3倍くらい高いところに頂上がある感覚でした。

アラスカ旅行 jpg

 

そして、次の年はアメリカ西部の国立公園を車で観光。イエローストーン ブライスキャニオン グランドキャニオン ラスベガス デスバレー ヨセミテ と結構ハードな車旅

このすべては元妻がすべてプランしたものなんですが(もちろん、まだウィンドウズ95もなくスマホもないためガイドブックと地図がたより)、計画段階で何にも参加していない自分がいかにポンコツか今ならよくわかる。

新婚旅行はホテルに泊まり、アラスカ旅行はいわゆるバックパッカーといういで立ちでキャンプ場を巡り、アメリカ国立公園めぐりはキャンプと車中泊でしたがかなりハードだったため最後はモーテルに泊まったと記憶しています。

これらの旅行はあくまで、カナダのウィスラーを拠点にしていたので可能だった思います。新婚旅行といってもメキシコということで費用は10万円くらいじゃなかったかと思います。身なりも小汚い貧乏旅行だったのですが、まあよくもこれだけ巡ったなと元妻のプランニング力と行動力に関心します。

それから、若いときだからこそできた経験だと思っています。まあ齢をとってからの旅の楽しみ方といのもあるのでしょう。しかし、どうしても体力は落ちていきますので人生の後半に旅を楽しむのであれば早期リタイヤを目指して早めにガッツリ稼ぐのがいいですかね。

 

カナダでの生活を体験

カナダでの暮らしはというと、日本ほど便利ではないのですが、「社会の作り」がじつに合理的になっている印象をうけました。道路の渋滞を回避するため、ライオンズゲートブリッジでは時間帯により中央線の位置が変化します。(午前ダウンタウンに行く時は上り3車線、下り2車線だったのに、ダウンタウンから帰るときには上り2車線、下り3車線に変化している)また、バンクーバーのダウンタンの道路は碁盤のようにデザインされていて交互に一方通行となっています。 そのため、左折レーンが非常に少ない(日本で言うところの右折レーン)ので左折渋滞が発生しないようにデザインされているのだと感じました。目の前の目的地に行くためにぐるりと1ブロックまわってくることもあり、時にもどかしい思いもあります。しかし、社会全体を考えると交通のボトルネックを取り除いていると言えます。つまり合理的なんです。

ブリティシュコロンビア州では買い物をすると州税7%とGST5%と合わせて12%の税金がかかります。(ですが、基本食材や農産品、処方箋薬などの生活必需品にはGSTは課税されません。)これはかなりの痛手と感じるのですが、その一方でMedical Service Plan に加入すると本人負担は無く診察や治療を受けられます。歯科治療と処方薬代は保険の対象外となります。しかも保険料は無料です。それから、公的施設であるパブリックテニスコートは予約なし無料で使用できます。ただし、30分ルールというのがあって次の順番を待つ人が現れたら30分でコートをあけるというマナーがあります。もしも、待機する人が現れなかったら好きなだけプレーできます。なので私の場合は無料でパブリックのテニスコートを満喫でき充実した暮らしだったなと実感しています。

映画も安くて、当時のレイトショーだと6ドル~8ドルくらいだったと記憶しています。なので映画はレストランで夕食を食べたあとの気楽な娯楽という印象です。

それから、さすがにリゾート地であるウィスラーでは考えられれないのですが、バンクーバーのダウンタウンでは祝日や日曜日にお休みするお店がまあまあります。給与の関係もあるのでしょうが、従業員としてはお店で働きながらも日曜日に休めると嬉しいだろうなと羨ましく思っていました。日本の都会では、全てが商業主義だなと感じていたのですが、カナダではまるで違い、「商売っ気がないな。」と感じていました。だから日本のようにあくせくしていないし人々がリラックスしている印象を受けたんだと思います。

一方、日本にいると「上げ膳据え膳」ではないのですが、行政サービスなども何かと周りがやってくれてたのだと思います。それに比べて、カナダでは基本的に自分で行動しないとなにも進みません。各種の申請等も受理されてから結構時間がかかる印象を受けます。

車のガソリン給油でも日本では今でこそセルフがありますが、カナダではセルフが当たり前で最初は戸惑いました。それから、何をするにも自分の意思をはっきりと相手に伝えないといけない。当たり前といえば当たり前なのですが 「What you want me to do ?」 なんて言われることがしばしばありました。また、「What do you think about ~ ?」 と尋ねられることもよくあります。つまり、【自分は何を感じ、何をしたいのか、どうしたいのか】ということを自然と意識するようになった気がします。

日本では、何も考えないで周りに流され受動的に暮らしていたんだなと痛感します。言い方を変えると【平和ボケ】といった印象です。海外(カナダと旅行先ぐらいしかわかりませんが)ではいろんな意味でタフさが必要だと身に沁みました。日本社会からみると【わがまま】に写るのかもしれませんが、海外では【自己主張】できないと暮らせない。

おそらく、海外での生活を体験すると日本が恋しくなります。そして、「人目さえ気にしなれば、日本で暮らすことは非常に楽だ」と感じると思います。なぜなら、日本は便利だし、食べ物はおいしいし、景色もきれいだし、人が親切だし、治安もそこそこ良いし、いい国なんです。国の借金が増え続けていることを除けば。

 

学びの大事さを学ぶ

「若気の至り」といいますか、知らないからこそできた数々の向こう見ずな体験だった気がします。まあ、「恐れを知らない」ことこそが若さの特権なのかもしれませんね。それにしてもよく遊んだものです。

そして、遊びはやがて飽きがくる。このままずっと遊んでばかりでいいのだろうか?という自問の時が訪れるのではないかと思います。そして、遊び疲れてやっと学びの大切さに気付くのかも知れません。

学生の時は、学びというより勉強なので、強いられる感じがあります。だから、仕方なくやるといった感じでした。おそらく、好きな科目や得意な科目というのは「学び」という心境に近かったのではないかと思います。わたしの場合は中学のときの数学と理科でした。これは科目だけではなく先生に恵まれたところも大きく感じます。新しいことを知る事にワクワクする体験をできたから。

そして、本当の学びは社会に出てからなのかもしれません。また、人との出会いの影響も大きく感じます。私が33歳のとき、前職のオーナーに出会ったことは非常にラッキーな出来事だったと思います。直接お会いしたことはありませんが元京セラの稲盛和夫氏の存在を知り、盛和塾の勉強会資料を学ぶ機会を得たことは非常にインパクトがありました。わたしの学び直し人生のはじまりでした。

私の超ポジティブなマインドセットはすべてココから。前職の在籍期間約10年間でマインドセットの矯正をおこなった感じです。

それから、盛和塾の冊子の中で稲盛さんの言葉を紹介しているのですが、その中でもっとも私に刺さったのは、「人は社会に出てからどれだけ学んだかによって、大きく差がつく。」といった内容の言葉でした。(一語一句まちがえのないようには覚えていません)このことには前職のオーナーも至極同感していたこともあり、中途半端な私にとっては何の疑う余地もありませんでした。

また「素直に実行することの大切さ」も説かれていて素直に実行するひとは成長が早いようです。それから「われわれ凡人は他人より多くやること」つまり、リソースを集中させ長時間やる。これに尽きる。

 

なりたい自分になるための学び

「なりたい自分になる」というと、「無理をして自分を変える必要はない」という主張をするかたと必ず衝突することなります。

わたしが言う「なりたい自分になる」とはいいかえると「自分の気持ちに素直になる」ともいえます。たとえば、あなたは総理大臣になりたいですか? 総理大臣になりたい人たちは国会議員になりその中から選ばれし者がなる。つまり、最低限の条件として「総理大臣になりたい」という気持ちがないといけませんよね。なにも「とてつもない高みを目指せ!」といっているのではなく、「それってほんとうにあなたが望んでいること(なりたい自分)なのですか?」ということなのです。

それでは、私が「なりたい自分」とはエジソンみたいな人と言いたいところですが、さすがにそこまでは高望みというもの。そうですねモノづくりを楽しむエンジニアでしょうか。ですから、一時は県外の就職も視野に入れエンジニアを目指すことも考えていました。しかし、さすがに家族をほったらかしてなりふり構わず突き進むことはしていません。

現在の仕事は、現場でモノづくりをしています。現場作業ではあるのですが、どうしてもテクニカルな思考や技能を求められる部分がありますのでエンジニアの端くれと言えないこともない。そのため、時に重圧を感じる場面もあります。だからこそ、やりがいもあるのではないかとも感じています。

私生活面では、家族が近くにいることはわたしにとって心の大きな支えとなっています。ですから、地元で理想に近いところで働いていることが私にとってのベストライフワークバランスだと思います。

また、ポリテクセンターに通っているときから「技術士」には関心がありました。この資格試験合格のための学びは技術者にとっては必須と言えます。また、大学に行っていない私にとって技術士1次試験合格は学歴コンプレックスを解消できる方法の一つとして考えていました。ただし、現職の職種では2次試験の受験資格がないため1次試験のみを受験することにしました。(1次試験のみ合格では「技術士」とは名乗れません。)現職においても職務を遂行するための根拠を示す助けとなっていると思います。技術士の1次試験とは別に、実務のためのリアルな資格として1級機械保全技能士を取得しています。

技術士は科学技術分野における最高峰の国家資格といれ、技術士の1次試験のレベルとして共通科目は4年生大学の自然科学系学部の教養教育程度、基礎科目および専門科目は自然科学系学部の専門教育程度といわれています。(技術士受験テキストより)

 

苦手の克服 それとも なりたい自分になる

わたしのように、コミュニケーション力(離婚の原因となっていると思われる)を養うためにサービス業に身を置くという生き方をしている方もいることでしょう。つまり、苦手を克服するという生き方。

苦手を克服するために仕事を選ぶということは、それはかなり苦痛な日々を送ることになる予感しかありません。それに比べて、「なりたい自分になる」あるいは「なりたい自分と方向性が同じ」であれば、そのための学びは有意義であると思いませんか。

「なりたい自分になる」ということを選択すると、おそらく終わりない探求の日々となるのではないかと思います。浮き沈みの日々もあるかも知れませんが、充実感にあふれる暮らしとなるはずです。

 

学びの環境が整っている現在

私が20歳のとき、東京にお上り就職したのは1985年。ウィンドウズ95が発売される10年前です。このころは専門書など地方ではなかなか手に入らない時代でした。だから、東京にいけるといろんな可能性が広がるという期待に満ちていました。当時は、地方と東京では情報(本)格差が著しかった。

勿論、競争のレベルも違い、田舎者が東京にでて広い世界に入っていみることで自分を客観的に見れるようになった気がします。今はネットの普及であらゆる垣根がなくなってきて地方にいても情報の格差はあまり無いのではないかと思います。もちろんリアルな体験は都会と田舎のそれぞれに其処にいないと出来ないものはたくさんあります。

ネットの世界では毎日圧倒されています。毎日が全国大会なのです(発信言語が英語なら毎日が世界大会)。レべチの連続なのです。

 

まとめ

還暦近くになると、否が応でも時間に限りがることを意識しないではいられません。とは言っても、子供の頃に抱いてた「60歳のおじいさん」というほどの実感はないようです。

ただ、学校の同級生のなかにはすでに故人となった人が数名います。だから、余命を意識するし他人事だとは思えない。だから遺書などの備えも必要とは思うけどあまり固執しないようにしています。

心身共に自己否定していた青年期に比べ、一転して自分を愛し、自分をいたわってきた壮年期そして現在。

私にとって目標を達成するための戦術とは、それは「健康寿命を延ばす」こと。つまり、ワクワク感と可能性を維持し打席に立ちつづけることです。瞬発力もバネもないスローな歩みではある。それでも今日も一歩踏み出してみる。

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マイペース派で、「変人」に憧れる管理人のアイボックです。必要は発明の母といわれるように、暮らしに直面する問題を一つ一つクリアする事をやっていたら、些細なものからちょっといいアイデアと思えるものまで出来ていました。そのときは必死にやっていて、気づいてなかった。いつの間にかDIYが好きになっていたようです。
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